豊川寺_(岐阜県白川町)とは? わかりやすく解説

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豊川寺 (岐阜県白川町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 07:43 UTC 版)

豊川寺 ほうせんじ
所在地 岐阜県加茂郡白川町黒川3353-3
位置 北緯35度35分31秒 東経137度17分49秒 / 北緯35.59194度 東経137.29694度 / 35.59194; 137.29694座標: 北緯35度35分31秒 東経137度17分49秒 / 北緯35.59194度 東経137.29694度 / 35.59194; 137.29694
山号 開運山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 明治38年(1905年
開山 小島大機
法人番号 8200005006601
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豊川寺(ほうせんじ)は、岐阜県加茂郡白川町黒川にある曹洞宗の寺院。山号は開運山。

歴史

黒川村には、元は臨済宗妙心寺派正法寺があったが、明治3年(1870年)に苗木藩の廃仏毀釈によって廃寺とされ、住民は神道への改宗を強制された。

明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県によって苗木藩は苗木県となったが、同年11月20日、府県統合により岐阜県に編入されて消滅すると、仏教寺院を復興する動きが始まった。

明治19年(1886年)、加茂郡和泉村の洞雲寺の執事の名によって浄財簿が作られ、浄財の喜捨が求められた。

明治20年(1887年)8月15日、洞泉寺住持の白井喬山が、小畑字西野に布教所を新設した。

明治33年(1900年)8月、愛知県の妙厳寺(豊川稲荷)から荼枳尼天を勧請し、堂宇を建立して安置した。

明治38年(1905年)8月19日、当時、東京浅草にあった総泉寺の末寺の「松吟庵」の寺籍を当地に移転することに許可が出て、小島大機が住持となった。

明治40年(1907年)11月27日、内務省の指令を受けて開運山 豊川寺に改号した。

明治41年(1908年)3月17日、恵那郡加子母村法禅寺の末寺となった。

関連リンク

参考文献

  • 『白川町誌』 第五章 宗教 第三編 生活と文化 開運山豊川寺 p914 白川町誌編纂委員会 1968年
  • 『美濃国加茂郡誌』 第七章 宗教 第二節 寺院 【黒川豊川寺】 p789 岐阜県加茂郡役所 大正10年

脚注




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