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谷野一栢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/23 18:14 UTC 版)

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谷野 一栢(たにの いっぱく、生没年不詳)は、戦国時代日本の僧医である。越前一乗谷に住んだ。『勿聴子俗解八十一難経』(ふっちょうしぞっかいはちじゅういちなんぎょう)を出版。

生涯

生没年不詳。奈良の蓮仙院の僧で、に渡り医術を学んだ。儒学医学易学で名を知られ、1532年(天文1年)、朝倉孝景の招きで一乗谷に移住し、朝倉氏に仕えた。1536年(天文5年)、孝景の命により、中国の明代に成立したものを校訂し『勿聴子俗解八十一難経』を出版。日本で2番目に古く出版された医書であり、越前で出版された最古の本である。三崎安指を養子とし医薬の法を伝え、弟子であった釈宗藝に宗門の法を伝えた。孝景は一栢が住んだ高尾村薬師堂を建てた[1][2][3]

勿聴子俗解八十一難経

『勿聴子俗解八十一難経』は医書。中国・後漢代成立の医書で鍼と臨床について述べた『難経』に、明代、熊宗立(ゆうそうりつ)が注釈を加えて成立したものが『勿聴子俗解八十一難経』。これに、朝倉孝景の命をうけた谷野一栢が校訂を加え、天文5年(1536年)9月に一乗谷城下の高尾で出版した。越前で出版された最古の本であり、木版刷3冊から成る。この版木の一部(全冊の約7分の1である6枚19丁分)は、西福寺(福井県敦賀市)に保存される。昭和40年(1965年)5月、福井県指定有形文化財に指定。内容は、鍼と臨床について述べ、特に金創医学において刀傷の治療に役立った[1][2][4][5]

脚注

  1. ^ a b 三上一夫『福井県の教育史』思文閣出版、1985年、p55~56。
  2. ^ a b 福井新聞社百科事典刊行委員会『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年、p583。
  3. ^ 則武三雄『えちぜん・わかさ文学館』松見文庫、1971年、p98~99。
  4. ^ 「越前朝倉版「俗解八十一難経」の版木」『若越郷土研究』第19巻第5号。
  5. ^ 福井県教育委員会『文化財調査報告 第16集』福井県教育委員会、1966年、p12~14。

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