讃岐国高松酒合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 21:29 UTC 版)
『三養雑記』二の対酌奇事によれば、天保2年のころ、讃岐国高松に津高屋周蔵という生来の酒豪がいた。ふだんは普通に対飲するが、いざ飲もうと思うときは玄米と生塩が肴であった。あるとき肥後熊本の日蓮宗の僧と周蔵が飲み比べをすることになり、酒好きが集まって飲んだほうが興があるとして、50人ほど集まった。ややあって2人が玄米と生塩で飲み足れりとしてやめたその量は1斗4升8合であった。ほかの者はそれぞれ2、3升飲んだと思われるが、頭痛や嘔吐に悩まされた。2人はふだんと変わった様子もなく、周蔵の家まで1里ほど、僧の旅宿はさらに17、8丁もあったが、ちょうどその時降雨があり、2人とも雨具をつけ、足駄をはき、うち語らいつつ帰ったという。
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