諸外国と国王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:01 UTC 版)
「ネパール共産党 (毛沢東主義派中央)」の記事における「諸外国と国王」の解説
インドや米国は、国王と政党との和解を進めてマオイストを弱体化させようと考え、国王に民主化要求(立憲君主制への転換)を突きつけながらも、「テロとの戦い」を強調する国王に対して援助を増額させる。国王は中国からも武器援助を受け、マオイストと対立するが、政党との和解に関しては反発し続けたため、7党連合とマオイストは接近して国王打倒をすすめた。すると、国王はインドや米国にも見限られ、やがて欧米メディアでは「民主化を弾圧する独裁的な専制君主」とするイメージが形作られ、国王派は国内でも国際的にも孤立した。 2005年2月、国王は内閣全員を罷免して軟禁して親政を行うが、インドや米国がこの絶対君主制への王政復古を痛烈に批判したため、国王は中国やパキスタンに接近しようとした。
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