諏訪平定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:06 UTC 版)
天文11年(1542年)3月、瀬沢の戦いがあった(異説あり、瀬沢の戦い参照)。 天文11年(1542年)6月、武田晴信は諏訪氏庶流である伊那の高遠頼継とともに諏訪領への侵攻を開始し、桑原城の戦いで諏訪氏は和睦を申し入れ、諏訪頼重を甲府へ連行して自害に追い込み、諏訪領を制圧している。 天文11年(1542年)9月25日、武田軍と高遠頼継軍が信濃国宮川で戦った(宮川の戦い)。武田方はこれを撃破して諏訪を掌握する。
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