覚樹院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 寺院名 > 覚樹院の意味・解説 

覚樹院

読み方:カクジュイン(kakujuin)

宗派 高野山真言宗

所在 和歌山県和歌山市

本尊 弘法大師

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

覚樹院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 16:03 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

覚樹院(かくじゅいん、元禄10年(1697年) - 安永6年11月28日1777年12月27日))は、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗側室。俗名は久免(くめ)。

生涯

紀州藩士稲葉定清の娘として生まれる。吉宗の将軍就任後、紀州藩主時代からの側室であるお梅の方お古牟の方が立て続けに亡くなると、和歌山城で吉宗の生母である浄円院の世話をしていた久免が側室として迎えられた。

吉宗が将軍となって後、享保6年(1721年)に芳姫(正雲院)を出産するが、翌享保7年(1722年)に夭折した。寛延4年(1751年)、吉宗の没後に出家し、覚樹院と号する。

安永6年(1777年11月28日、81歳で死去する(82歳であったという説もある)。戒名は覚樹院曜譽光記智仙大禅定尼、後に教樹院曜譽光託智仙大禅定尼と改めた。墓所は小石川伝通院

関連作品

脚注

[脚注の使い方]

参考文献



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「覚樹院」の関連用語

覚樹院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



覚樹院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの覚樹院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS