覚応寺 (館林市)とは? わかりやすく解説

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覚応寺 (館林市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 05:42 UTC 版)

覚応寺
所在地 群馬県館林市栄町1-8
位置 北緯36度14分57秒 東経139度31分38秒 / 北緯36.24917度 東経139.52722度 / 36.24917; 139.52722
山号 佛光山
院号 太子院
宗派 真宗大谷派
創建年 不詳
開山 林通
文化財 浮世絵師北尾重光の墓(館林市指定史跡)
公式サイト 覚応寺(かくおうじ)公式ホームページ
法人番号 4070005006627
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覚応寺(かくおうじ)は、群馬県館林市にある真宗大谷派寺院

住職  佐々木昌信(第18世)

歴史

創建年代は不明であるが、林通によって開山された。林通は鎌倉幕府御家人佐々木盛綱の末裔で、父の祐宝の時に越前国(現・福井県)から関東地方に移住した。林通は関東各地を巡錫し、上野国邑楽郡羽附村(現・群馬県館林市羽附町)に「願成寺」という寺を創建した。これが当寺の起源である[1]

寛文延宝年間(1661年 - 1681年)、館林藩城代家老金田正勝が林易(林通の孫)に帰依していたこともあり、正勝の協力で現在地に移転整備され、その際に「覚応寺」に改称した。そして正勝は藩主徳川綱吉(後の江戸幕府第5代将軍)に頼み込んで、30石寺領が当寺に与えられている[1]

境内には、浮世絵師北尾重光の墓がある[2]

文化財

  • 浮世絵師北尾重光の墓(館林市指定史跡 昭和62年8月7日指定)[3]

交通アクセス

出典

  1. ^ a b 覺應寺とは?覚応寺
  2. ^ 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、122p
  3. ^ 指定文化財一覧館林市

参考文献

  • 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年

外部リンク




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