見晴らし通り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 04:54 UTC 版)
現在の「南銀座通り」は当初、与野横町などとも呼ばれていたが、広い鉄道の敷地越しに富士山がよく見えたこと、そして、この通りの中心に地元住民が利用し、社交場でもあった銭湯の「見晴らし湯」があったことからも、この通りを利用する人々から愛着を持って「見晴らし通り」と呼ばれていた。町役場が通りから左に曲がった突き当たりにでき、通りには大宮商業銀行、県内初の木造三階建て旅館が建って、地域は工場関係者や鉄道関係者でにぎわった。「見晴らし通り」から東へ折れ、天沼や堀の内を経て現在の見沼区に至る「片倉新道」(現在の仲町商店街)は、片倉工業が開いたことから名づけられたもので、大宮は「鉄道と製糸の町」として活況を呈した。片倉新道には町医者が並んで医者通りとも呼ばれ、大宮中央通りができるまで、バスも往来する町のメインストリートだった。
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