西柵丹村とは? わかりやすく解説

西柵丹村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/04 23:44 UTC 版)

にしさくたんむら
西柵丹村
廃止日 1949年6月1日
廃止理由 国家行政組織法施行
廃止時点のデータ
日本
地方 樺太地方
都道府県 樺太庁 恵須取支庁
名好郡
総人口 9,296
1941年12月1日
隣接自治体 名好郡名好町
敷香郡敷香町
ソビエト連邦 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国ハバロフスク地方(現・サハリン州
西柵丹村役場
所在地 樺太庁名好郡西柵丹村
座標 北緯49度38分40秒 東経142度10分31秒 / 北緯49.6445度 東経142.1754度 / 49.6445; 142.1754座標: 北緯49度38分40秒 東経142度10分31秒 / 北緯49.6445度 東経142.1754度 / 49.6445; 142.1754
特記事項 1943年4月1日以降は北海地方に所属。
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西柵丹村(にしさくたんむら)は、日本の領有下において樺太に存在した指定町村)。

村名のうち「柵丹」という地名は、アイヌ語の「サク・コタン」(夏の村)による[1]

概要

歴史

国境の村・安別

  • 民間人が住む最も北緯50度線の日ソ国境に近い村であった。
  • 安別炭鉱はロシア側から要塞と誤認されていた。
  • ロシアとの密貿易を監視する安別監視所があった。
  • ロシア側から国境を越えて急患が安別の医師のところに来ることもあった。人道上の理由から日本側の官憲も黙認していた。

村内の地名

  • 西柵丹
  • 奥島(おくしま)
  • 恩内(おんない)
  • 小恩内(こおんない)
  • 宇志内(うしない)
  • 斗運(とうん)
  • 握珠(あくしゅ)
  • 立岩(たていわ)
  • 北宗谷(きたそうや)
  • 源氏沢(げんじざわ)
  • 沃内(よくない)
  • 知内(ちない)
  • 親鵜(おやう)
  • 赤敷(あかしき)
  • 妻内(つまない)
  • 明石(あかし)
  • 安別(あんべつ)

[2]

地域

教育

以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]

  • 樺太公立西柵丹国民学校
  • 樺太公立北栄国民学校
  • 樺太公立安別国民学校

脚注

  1. ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.403
  2. ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
  3. ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1689

関連項目





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