西川登村とは? わかりやすく解説

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西川登村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 04:21 UTC 版)

にしかわのぼりむら
西川登村
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 新設合併
武雄町朝日村武内村橘村東川登村西川登村若木村武雄市
現在の自治体 武雄市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
杵島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,764
国勢調査、1950年)
隣接自治体 中通村、東川登村、藤津郡塩田町嬉野町
長崎県東彼杵郡上波佐見町
西川登村役場
所在地 佐賀県杵島郡西川登村
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西川登村(にしかわのぼりむら[1][2])は、佐賀県杵島郡にあった。現在の武雄市の一部にあたる。

地理

六角川の流域に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、杵島郡小田志村、神六村が合併して村制施行し、西川登村が発足[1][2]。旧村名を継承した小田志、神六の2大字を編成[2]
  • 1954年(昭和29年)4月1日、杵島郡武雄町、朝日村、武内村、橘村、東川登村、若木村と合併し、市制施行し武雄市を新設して廃止された[1][2]。合併後、武雄市大字永野・袴野となる[2]

地名の由来

明治末期まで有明海の満潮時に船が六角川をさかのぼったことにちなみ、東川登村に対する[2]

産業

  • 農業、窯業[2]

教育

  • 1901年(明治34年)明治尋常高等小学校が西川登尋常高等小学校に改称[2]。1941年(昭和16年)西川登村国民学校に改称[2]。1947年(昭和22年)西川登小学校に改称[2]
  • 1947年(昭和22年)西川登中学校開校[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』647頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』526-527頁。

参考文献

関連項目




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