藤大路親春とは? わかりやすく解説

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藤大路親春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 01:16 UTC 版)

藤大路 親春(ふじおおじ ちかはる、1873年明治6年)2月22日[1] - 1923年大正12年)5月23日[1][2])は、明治から大正期の政治家奈良華族貴族院男爵議員

経歴

藤大路家当主・藤大路納親の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1894年(明治27年)2月13日、男爵を襲爵した[1][3][5]

1895年(明治28年)学習院高等学科を卒業[2][4]1898年(明治31年)12月、千葉県属となり内務部第一課に配属された[2][3][4]1899年(明治32年)5月、東京府属に転じ内務部第一課勤務となる[2][3][4]

1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]1918年(大正7年)7月9日まで2期在任した[2]

親族

  • 母:慎子(しずこ、六条有言十女)[1]
  • 妻:栄(さかえ、田中弘義三女、離縁)[1]
  • 長男:親美(男爵、陸軍大尉)[1]
  • 長女:綾子(西井一孝夫人)[1]
  • 二男:親久(田中弘道養子)[1]

脚注

注釈

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 下巻』449頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』83頁。
  3. ^ a b c d 『大日本華族大鑑』188-189頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録』第6版、ふ11頁。
  5. ^ 『官報』第3186号、明治27年2月14日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
  7. ^ 『官報』第6324号、明治37年7月29日。

参考文献

  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
藤大路納親
男爵
藤大路家第2代
1894年 - 1923年
次代
藤大路親美



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