藤原孝重とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤原孝重の意味・解説 

藤原孝重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/06 06:37 UTC 版)

藤原 孝重(ふじわら の たかしげ、生年不詳 - 康永2年/興国4年2月14日1343年3月10日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての廷臣・雅楽師藤原北家高藤流権中納言藤原為輔の11代孫で、刑部権大輔・藤原孝秀の子。官位従三位修理権大夫

経歴

兵衛尉を経て、花園朝(第二次伏見院政期)初頭の延慶2年(1309年従五位下右馬権助に叙任される。

のち、木工権頭を務めるが、この間の延慶3年(1310年玄象修理の功労により従五位上に、正和3年(1314年西園寺公顕から後伏見院琵琶の師匠としての功労の叙位を譲られて従四位下に叙せられるなど、雅楽に関連して叙位を受けた。また、正和5年(1316年)に盗難にあって行方不明となっていた琵琶の名器「玄象」について、元応元年(1319年)に発見されると孝重はこの修理を担当。その功労により正四位下に叙せられている。

元亨2年(1322年西園寺実兼が秘曲「啄木」を後伏見院に伝授する予定であったが、実兼が所労危急の状態であったため、代わりに孝重が伝授を行った[1]。のち、元徳2年(1330年)から建武元年(1334年)にかけて修理権大夫を務めている。

光明朝康永2年/興国4年(1343年)2月14日に従三位に叙せられ、当日薨去

人物

著書として『撃皷抄』があり、自筆本が伝わっている[2]

官歴

公卿補任』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原孝秀
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原孝守
    • 男子:藤原孝清
    • 女子:

脚注

  1. ^ 『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』pp.41-42.
  2. ^ 宮内庁書陵部 所蔵資料目録・画像公開システム

参考文献

  • 『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』、宮内庁書陵部編、明治書院
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  藤原孝重のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原孝重」の関連用語

藤原孝重のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原孝重のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原孝重 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS