藤原孝重
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藤原 孝重(ふじわら の たかしげ、生年不詳 - 康永2年/興国4年2月14日(1343年3月10日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての廷臣・雅楽師。藤原北家高藤流、権中納言・藤原為輔の11代孫で、刑部権大輔・藤原孝秀の子。官位は従三位・修理権大夫。
経歴
兵衛尉を経て、花園朝(第二次伏見院政期)初頭の延慶2年(1309年)従五位下・右馬権助に叙任される。
のち、木工権頭を務めるが、この間の延慶3年(1310年)玄象修理の功労により従五位上に、正和3年(1314年)西園寺公顕から後伏見院の琵琶の師匠としての功労の叙位を譲られて従四位下に叙せられるなど、雅楽に関連して叙位を受けた。また、正和5年(1316年)に盗難にあって行方不明となっていた琵琶の名器「玄象」について、元応元年(1319年)に発見されると孝重はこの修理を担当。その功労により正四位下に叙せられている。
元亨2年(1322年)西園寺実兼が秘曲「啄木」を後伏見院に伝授する予定であったが、実兼が所労危急の状態であったため、代わりに孝重が伝授を行った[1]。のち、元徳2年(1330年)から建武元年(1334年)にかけて修理権大夫を務めている。
光明朝の康永2年/興国4年(1343年)2月14日に従三位に叙せられ、当日薨去。
人物
著書として『撃皷抄』があり、自筆本が伝わっている[2]。
官歴
『公卿補任』による。
- 徳治2年(1302年) 正月29日:右兵衛尉(新院去年御給)
- 延慶元年(1308年) 12月22日:左衛門尉
- 延慶2年(1309年) 4月14日:右馬権助、従五位下。8月10日:左馬権助
- 延慶3年(1310年) 12月28日:従五位上(玄象修理賞)
- 正和元年(1312年) 3月2日:木工権頭
- 正和2年(1313年) 8月7日:正五位下
- 正和3年(1314年) 正月22日:従四位下(正二位藤原朝臣新院琵琶師賞譲)
- 正和5年(1316年) 3月25日:去頭
- 文保2年(1318年) 正月22日:従四位上
- 元応元年(1319年) 8月21日:正四位下(玄象修理賞)
- 元徳2年(1330年) 4月6日:修理権大夫
- 建武元年(1334年) 10月24日:去大夫
- 康永2年/興国4年(1343年) 2月14日:従三位、薨去
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:藤原孝秀
- 母:不詳
- 生母不詳の子女
- 男子:藤原孝守
- 男子:藤原孝清
- 女子:
脚注
- ^ 『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』pp.41-42.
- ^ 宮内庁書陵部 所蔵資料目録・画像公開システム
参考文献
外部リンク
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