藤井浩佑とは? わかりやすく解説

藤井浩佑

読み方:ふじい

彫刻家東京生。東美校卒。初期には文展活躍し院展同人推された。院展退いた後、帝国美術院会員になり、帝国芸術院会員推された。昭和33年(1958)歿、75才。

藤井浩佑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/03 09:22 UTC 版)

藤井 浩佑(ふじい こうゆう、1882年明治15年)11月29日 - 1958年昭和33年)7月15日)は、彫刻家、日本芸術院会員。初名は浩祐

人物・来歴

唐木細工師藤井祐敬の長男として東京府東京市神田区錦町に生まれる。祖父は、旧摂関家公爵九条家執事であった藤井祐澄。

不同舎を経て1907年東京美術学校彫刻科卒、第一回文展に出品、以後出品を続ける。1911年文展出品「鏡の前」から三等賞を四度受賞。1916年日本美術院同人、以後院展に出品、1936年文展審査員となり、院展を退き帝国美術院会員、1937年帝国芸術院会員、1950年日展運営会理事、1953年より浩佑と称する。 墓所は青山霊園立山墓地1-ロ-4にある。

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