菊地史彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/11 13:54 UTC 版)
菊地 史彦(きくち ふみひこ、1952年 - )は、日本のコンサルタント、文筆家。
元株式会社ケイズワーク代表取締役。元東京経済大学コミュニケーション研究科(大学院)非常勤講師。
経歴
東京都に生まれる。1971年東京都立井草高等学校卒業[1]。1976年慶應義塾大学文学部哲学科(倫理学専攻)卒業。同年、筑摩書房に入社。営業部販売課勤務の後、編集部へ異動、90年の退社まで約60冊を担当。代表的な作品に、田中優子『江戸の想像力』(芸術選奨文部大臣新人賞受賞)、入江曜子『我が名はエリザベス』(第8回新田次郎文学賞受賞)、鶴岡真弓『ケルト/装飾的思考』(第1回倫雅美術奨励賞受賞)などがある。
1990年、筑摩書房退社。翌年、編集工学研究所(松岡正剛所長)に参加。企業の次世代メディア/コミュニケーション技術の受託研究、人材開発・研修の企画・運営、地方自治体の産業・文化振興策の企画、郵政・通産省の情報通信・コンテンツに関する受託研究、大学のアーカイブ設計などを担当し、1998年に退社・独立する。
1999年、ケイズワーク設立。代表取締役に就任(2024年退任)。企業のコミュニケーション、ブランディング、ナレッジマネジメントを主要分野とするプロフェッショナルサービスファームとして、コンサルティングやメディア制作業務などを行う。2003年、企業変革を支援するインナーコミュニケーションのコンセプトとして”Change Communication”を提唱し、論考「企業変革のためのコミュニケーション」 を発表。2004年には「成長戦略としてのCSR」をテーマにセミナーなどを開催。同年からメールマガジン K’s Letterに「コーポレートビジョンを訪ね歩いて」や「コミュニケーション思想の先駆者たち」を連載。2011年には、ビジネスドキュメントの発想と作成のための「ビジネスライティング」ワークショップをスタートした。
2000年、株式会社ビジネスカフェジャパン設立に参加。執行役員、会員誌Espresso編集長を務めた。2006年、株式会社ラジオカフェ設立に参加。取締役に就任。2007年よりインターFM「ラジオの街で逢いましょう」のパーソナリティを務めた。また、同年より国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員を務め、「イノベーション行動科学プロジェクト」に参加。
2015年3月から、「論座」(後に「Web論座」)の「文化・エンタメ」欄で、時評的エッセイを執筆。
2017年より東京経済大学コミュニケーション研究科(大学院)の非常勤講師(生活文化論)を務めた(~2023年3月)。
経歴
著書
- 『「幸せ」の戦後史』 トランスビュー、2013年4月
- 『「若者」の時代』 トランスビュー、2015年3月。帯に「痛切な戦後史」
- 『「象徴」のいる国で』作品社、2020年12月
- 『沖縄の岸辺へ――五十年の感情史』、作品社、2022年12月
- 『逆格差論、名護市長 岸本建男と象設計集団の遺したもの』、論創社、2025年7月
共著
- 監修 松岡正剛『情報文化の学校』 NTT出版、1989年
論考
- 「企業変革のためのコミュニケーション」『Change Communication Book』Vol.1 2003年4月
- 「会社を変えるインナーコミュニケーション」“JASDAQメールマガジン”2003~04年
- 「インナーブランディングこそ競争力の源泉」『宣伝会議』2004年6月号
- 「強いチームは内側から好循環を創り出す」『PRIR』2006年2月号
- 「コンテンツからコンテクストへ」『Espresso』No.9
- 「組織と顧客」『Espresso』No.11
- 「イノベーション行動科学を考える六つの視点 その1.社会、認知、組織の視点から」『智場』No.114、2009年6月
脚注
- ^ Company, The Asahi Shimbun. “[14]第4章「舞い降りたバリケード(1)」 - 菊地史彦|論座 - 朝日新聞社の言論サイト”. 論座(RONZA). 2022年7月24日閲覧。
外部リンク
- 菊地史彦のページへのリンク