荻野、赤井時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 03:02 UTC 版)
その後の経緯については、現在史料が確認されていないので詳しくは解らないが、赤松氏に代わり荻野氏が春日部領を次第に納めていったのではないかと考えられている。大永6年(1526年)11月の八上・神尾山両城の戦いで黒井城の城主、赤井五郎が兵3000を率いて神尾山城の包囲軍を背後から襲い掛かったという記録があるが、赤井五郎という人物が後に黒井城で活躍する赤井直正一族とどのような関係があるのか不明である。その後の記録では天文年間(1532年-1554年)に荻野秋清が黒井城主となっていた。一方、赤井氏は氷上町の後屋城を拠点としていた。赤井時家の息子、赤井直正を荻野正元に質子として朝日城に送っていた。荻野正元の息子が黒井城の城主、荻野秋清である。
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