荒町小倉寺線時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 06:13 UTC 版)
福島市制よりも昔、1906年の福島町時代に「荒町小倉寺線」の整備計画が持ち上がる。「松葉館南より荒町を貫き矢剣に至り更に北に折れて太田に出づる350間」という内容である。これにより八木田橋東詰から荒町東交差点まで市街地を横断できる片側一車線の道路が整備された。現在、荒町交差点前で北方の奥州街道中町方面から西方の天神橋通り清明町方面に右折禁止なのは片側一車線時代の名残である。
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