荒井英一
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荒井 英一 | |
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別名 | 矢板 候ニ |
生誕 | 1926年2月14日 |
出身地 |
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死没 | 1990年11月??日 |
ジャンル | 演歌・歌謡曲 |
職業 | 作曲家 |
荒井 英一(あらい えいいち、1926年2月14日 - 1990年11月)は、日本の作曲家。代表作は井沢八郎の「あゝ上野駅」。矢板 候ニという別名でも活動していた。
略歴・人物
栃木県矢板市出身。1926年(大正15年)2月14日に栃木県塩谷郡矢板町万町(現在の矢板市本町)の老舗旅館「住吉荘本店」の長男として生まれた。少年時代は、野球と剣道が好きな腕白坊主だったが、19歳の1945年(昭和20年)暮れにNHKのど自慢に挑戦して合格し、歌手を目指して声楽の勉強に励み、後に作曲家へと転じた。1964年(昭和39年)には、集団就職者を題材にした「あゝ上野駅」(関口義明作詞)が大ヒットし、作曲家としての地位を不動のものにした。以来、三千にも及ぶ曲を発表し、1985年(昭和60年)には全国大衆音楽家協会の会長に就任した。また、「矢板市の歌」「矢板音頭」など出身地の歌も数多く手掛けた。しかし、1990年(平成2年)11月に64歳で死去した[1]。
主な作曲作品
- 井沢八郎:「あゝ上野駅」「しぶき舟」「ダンチョネ鴎」「ああ上野駅」(「あゝ上野駅」を編曲)
- 日野てる子:「北国の初恋」「若い朝」(東京12チャンネル連続ドラマ『寒い朝』主題歌)「そのことは云えない」(TBS連続テレビ映画『そのことは言えない』主題歌)
- 愛京子:「あなたに逢いたい」
- 松本ルミ:「ハマの子守唄」
- 矢本浩二・石黒勝とブルースターズ:「ネオン街慕情」
- 野口五郎:「博多みれん」「ひとり雨」「約束」「女のあきらめ」
- 笹崎貴夫:「ネオン砂漠の女」「傘を貸して下さい」
- 二葉百合子:「武田信玄」
- 克美しげる:「放浪哀歌」
- 葛城ユキ:「狼の挽歌」
- 浜桂子:「女の舞扇」「別れ雨」「チョットだけよ」
- 鈴木孝夫:「平泉の女」
- 山本ゆき:「演歌坂」「哀しみめぐり」
- 小鳩くるみ:「虹の国」(『七夕ナナちゃんふしぎな九九の旅』主題歌) 「九九のうた」
【矢板候ニ名義】
- 市川好朗:「東京なんかにゃ負けないよ」「人生の片隅で」
- 那珂川佳子:「前橋の夜」「別れの涙川」
エピソード
- 野口五郎が「デビュー前に知人の紹介で、「あゝ上野駅」を作曲した荒井英一先生の演歌レッスンに通いました」と語っている[2]。その縁で、野口のデビュー曲「博多みれん」は、荒井の作曲である。
- つつじで有名な矢板市の長峰公園に、「荒井英一先生顕彰碑」(1991年11月建立)がある。この記念碑は、洋画家の杉山吉伸(栃木県さくら市在住)によるデザインであり、作曲家にふさわしくグランドピアノをかたどったもので、鍵盤も彫られている。また、土台には荒井愛用の指揮棒が埋められている[3]。
- 上野駅開業130年を記念し、2013年(平成25年)7月28日から「あゝ上野駅」が東北本線の発着する13番線の発車メロディーとして採用された[4]が、作曲の荒井を始め、作詞の関口、歌唱の井沢も死去しており、何れもその旋律を聴くことは叶わなかった。 その後カシオペア・北斗星引退により、2016年11月1日からは16・17番線に移された[5] 。
- 本来は演歌・歌謡曲の作曲家であったが、晩年には、葛城ユキの 「狼の挽歌」や小鳩くるみの「虹の国」「九九のうた」等、ポップス・童謡も手掛けている。
脚注
- ^ (栃木県矢板市長峰公園にある「荒井英一先生顕彰碑」の記述)
- ^ (2013.12.26 生活情報誌「熟年ばんざい」のインタビューより)
- ^ やいた応援かわら版第8号平成29年10月1日
- ^ (JR上野駅:13番ホームの発車ベル「あゝ上野駅」に変更 - 毎日jp(毎日新聞、2013年6月20日更新))
- ^ (発車メロディーwiki 上野駅16・17番線「あゝ上野駅」時刻 最終更新:2024年12月20日)
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