若泉敬とは? わかりやすく解説

若泉敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 16:48 UTC 版)

若泉 敬(わかいずみ けい[1]1930年昭和5年)3月29日1996年平成8年)7月27日)は、日本の国際政治学者。元京都産業大学法学部教授。


  1. ^ 本来の読みはたかしであるが、外国人が発音しやすいようにけいと名乗るようになった。後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って』岩波書店、2010年、2ページ。
  2. ^ 明治大学に進学し、卒業後、司法試験に合格、福井県初の女性弁護士となる。1959年、若泉と結婚。1985年6月23日心筋梗塞により死去。
  3. ^ 明治大学は1950年12月に退学。
  4. ^ アメリカの要人・知識人との交流の一端は、中央公論1961年3月号の「オピニオン・リーダー会見記」からうかがうことができる。
  5. ^ 飯島清『人の心をつかむ法 科学的選挙戦術応用』番町書房、1969年7月25日、27-33頁。 
  6. ^ 石原知事定例記者会見録 平成19年3月16日”. 東京都庁 (2007年3月20日). 2020年6月2日閲覧。
  7. ^ 陸奥宗光が『蹇蹇録』で、三国干渉受諾について「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(他に方法はなかったのだと信じたい)と書き記したことに由来す
  8. ^ トインビーとの出会いは、後に『トインビーとの対話―未来を生きる』と題する著作に結実する。
  9. ^ 「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏」『琉球新報』2005年5月14日。
  10. ^ 手嶋龍一「変貌する日米同盟-東アジアのなかの日本」、琉球フォーラム Vol. 171 /2007 July
  11. ^ a b 沖縄返還38年目の真実 谷内正太郎・政府代表が語る「核再持ち込みの密約はあった」」『週刊朝日』2009年5月22日号、朝日新聞2010年3月11日付社会面
  12. ^ a b 谷内正太郎『外交の戦略と志――前外務事務次官 谷内正太郎は語る』(産経新聞出版, 2009年)
  13. ^ 「東郷文彦と若泉敬」の時代(1/3) 東郷和彦Voice (雑誌)
  14. ^ 「72年沖縄返還時、『核密約』示す米公文書を発見」『読売新聞』2007年10月7日;信夫隆司「沖縄核密約の"発見" 」『法学紀要(日本大学)』49号(2007年)。
  15. ^ “核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認”. 読売新聞. (2009年12月22日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00775.htm 
  16. ^ 北岡伸一『自民党―政権党の38年』(読売新聞社、1995年/中央公論新社[中公文庫]、2008年)、pp.148-149.
  17. ^ 琉球新報2012年6月10日


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