若松県の分県論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:41 UTC 版)
若松県が福島県の一部とされたことで、東蒲原郡および会津地方の住民にとっては、自県の県庁が会津の若松町(現在の会津若松市)から、奥羽山脈を隔てて遠く離れた中通りの福島町(現在の福島市)へと移管されたことで不便や衰退をきたした。また、文化や風習も会津と中通りでは異なったという。このため、1881年(明治14年)には「若松県を福島県から再び独立させるべきだ」とする分県運動が起こった。 とくに福島県内の西端にあった本郡は福島県庁へ非常に遠く、最短経路でも約130km前後、徒歩では24時間以上を要した。
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