至徳県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/07 07:52 UTC 版)
中華民国 安徽省 至徳県 | |
← 757年 - 1959年 → | |
簡体字 | 至德 |
繁体字 | 至德 |
---|---|
拼音 | Zhìdé |
カタカナ転記 | ヂードゥー |
国家 | 中華民国 |
省 | 安徽省 |
行政級別 | 県 |
建置 | 757年 |
廃止 | 1959年 |
面積 | |
- 総面積({{{area_metro_as_of}}}) | km² |
人口 |
地理
歴史
757年(至徳2載)、鄱陽県、秋浦県の一部に至徳県が設置され(県治は現在の東至県梅城鎮)、宣城郡に属した。758年(乾元元年)には饒州、五代十国時代には寧国軍節度使の管轄とされた。
宋代になると922年(順義2年)に建徳県と改称、江南道(南宋では江南東路)池州の管轄とされた。元代は池州路、明清代は池州府の管轄とされた。
中華民国が成立すると、広東省に同名県が存在したため1914年(民国3年)1月に秋浦県と改称、1932年に再度至徳県と改称された。
1959年3月22日、至徳県と東流県が統合され東至県改編された。
|
|
|
固有名詞の分類
- 至徳県のページへのリンク