脱獄囚のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 00:22 UTC 版)
「広島拘置所尾道拘置支所脱獄事件」の記事における「脱獄囚のその後」の解説
この脱獄事件は別件で捜査審理され、懲役15年が確定した。一方の死刑求刑事件は広島高裁で審議されていたが、1970年になって控訴を取り下げた。1970年5月19日の中国新聞朝刊が伝えるところでは、取下げの動機としてHが実母に話したところによれば「なかなか審理が開かれないし、弁護士に会いたいといっても来てくれない」といって、お金がない者はどっちにしても死刑になると半ば捨て鉢になったからという。後に本人は翻意して控訴取下げを取り消そうとしたが、既に裁判所が受理したため受け入れられなかった。1975年に死刑執行、享年38歳。
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