脱中心的位置性とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 脱中心的位置性の意味・解説 

脱中心的位置性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 20:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

脱中心的位置性(exzentrische Positionalität)は、ドイツの哲学者ヘルムート・プレスナーが提唱した概念である。脱中心性(Exzentrizität)とも呼ばれる。1928年に発表された『有機物の諸段階と人間―哲学的人間学入門』の中核をなす考えである。

プレスナーは、生命あるものは自らを取り巻く環境に境界(Grenze)をもって対峙し、自ら境界を引くことを通して外界と不断の交渉を行うと考えた。この生物と自然環境との相互関係を、無生物のそれと対比して際立たせ、生物が環境領野に対して取る位置性・位置形式(Positionalität)から説明しようとする。こうした発想は、特にヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念「環境世界」にヒントを得ている。さらにプレスナーは、生命をさまざまな階層に分け、それぞれに特有な位置形式の観点から、植物・動物と人間との本質的差異に迫ろうとする。

プレスナーによれば、人間が環境世界に対してとる位置性は脱中心性である。動物はおのれのうちに意識と中心を有し、環境世界の事象に独自の行動図式をもって対処することができる。ただし、人間以外の動物は<今・ここ>という時間的・空間的制約のうちに埋没し、これらと事物とを真に対象化することはできない。一方、人間はこの閉鎖性・中心性(Zentralität)を有するが、同時におのれの中心から離脱し、<今・ここ>に対して距離を取り、これらを対象化ことができる。プレスナーのことばに言い換えれば、人間は「消失点」または「眺望点」を自らの背後に持つ。結果として人間は、自我を有し意識主体として行動することのみならず、自らを客体化し他我の存在を認識することも可能になる。これは、他者の視点期待を予測し、これらを自分の行為に反映することにもつながる。この考えに従えば、脱中心的位置性は人間に特有の社会形式(プレスナー自身は共同世界と呼んでいる)の根幹を成すものともいえる。

<今・ここ>による束縛を免れた人間は、動物に保障された「自然」と本能的な安定性を失い、そのため自らの手で進路を切り開かねばならない。道具を用いて文化を創造する必要に迫られ、「自然的技巧性」(natürliche Künstlichkeit)と「媒介された無媒介性」(vermittelte Unmittelbarkeit)によっておのれを表出することになる。このことが歴史を残す行為につながる、とプレスナーは説明する。人間は、世界の内に自らの本来の場所を持たない「ユートピア的立ち位置」(utopischer Standort)のために、世界根拠または神への信仰という宗教的次元によって「自然」へと還帰せざるをえない。これらが、プレスナーの人間論の骨格をなす見解である。

なお、人間が持つ脱中心的位置性が何に起因するのかという問いには、プレスナーは答えを出していない。

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「脱中心的位置性」の関連用語

脱中心的位置性のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



脱中心的位置性のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの脱中心的位置性 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS