脇田直枝とは? わかりやすく解説

脇田直枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 17:20 UTC 版)

脇田 直枝(わきた なおえ、1937年2月11日 - )は、コピーライタークリエイティブ・ディレクター[1]AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、東京都出身。

経歴

早稲田大学を卒業後、森永乳業へ入社。早大の同窓生に作家の阿刀田高がいる。森永でコピーライターとして広告に携わり、同社退社後フリーを経て、電通へ入った。

電通が時代に合わせて女性だけの広告代理店「電通EYE」を立ち上げることが決まり、脇田は専務取締役に就任。1985年に代表取締役社長ヘ就任。少数精鋭を好むスタイルで徒党を組むことを嫌い、電通EYEを大きくした。その後、時代の変貌と自らの年齢により退任。脇田の退任と同時に電通EYEも解散した。

脇田が手がけた広告コピーで著名なものには、集英社から刊行されていた雑誌「COSMOPOLITAN」の発売キャンペーン広告「この雑誌には、エクスタシーがある。」、読売光と愛の事業団が主催したアフリカ飢餓救済募金キャンペーンの「わたしは農婦」、味の素ゼネラルフーヅAGF(現味の素AGF)の「ゆとりすと」などがある。

脚注

  1. ^ 今月のワン【脇田直枝さん】 リーダーシップ111(2024年8月4日)




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