能登半島 (石川さゆりの曲)
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「能登半島」 | ||||||||
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石川さゆり の シングル | ||||||||
初出アルバム『能登半島』 | ||||||||
A面 | 能登半島 | |||||||
B面 | 帰りたくない | |||||||
リリース | ||||||||
ジャンル | 演歌・歌謡曲 | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | 日本コロムビア | |||||||
作詞 | 阿久悠 | |||||||
作曲 | 三木たかし | |||||||
ゴールドディスク | ||||||||
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チャート最高順位 | ||||||||
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石川さゆり シングル 年表 | ||||||||
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「能登半島」(のとはんとう)は、1977年5月10日に発売された石川さゆりのシングルである。
概要
同じく作詞・阿久悠、作曲・三木たかしのコンビで制作された前作「津軽海峡・冬景色」、次作「暖流」と合わせ「旅情三部作」と呼ばれる。
「津軽海峡・冬景色」の大ヒット後、作詞者の阿久悠は「次回はさゆりちゃんの出身地の曲を書いてあげるね」と言って制作したが、出来上がった曲は出身地の熊本県ではなく石川県の「能登半島」だった。勘違いだったのか、確信犯だったのか定かではないが、「苗字が石川だから石川県出身だと思って書いてくださったのだろう」と、ありがたく受け止めたという[1]。この約束は翌1978年発売の「火の国へ」で実現されている。
シングル盤は日本コロムビアから発売されたが、石川がポニーキャニオン、テイチクエンタテインメントに移籍したため、各社のベストアルバムに収録されている。
紅白では2003年の『第54回NHK紅白歌合戦』で初めて歌唱された。また、2024年の元日に発生した能登半島地震と9月の能登半島豪雨で大きな被害を受けた被災地への思いを考慮し、同年末の『第75回NHK紅白歌合戦』で21年ぶりに歌唱された[2]。
収録曲
- 能登半島(3分42秒)
- 帰りたくない(3分20秒)
カバー
- 川中美幸(1996年、アルバム『川中美幸20周年ベスト100大全集「人・うた・心」』収録)
- 野村未奈(2016年、アルバム『日本列島 歌巡り〜北信越編〜』収録)
- 市川由紀乃(2018年、アルバム『唄女III〜昭和歌謡コレクション&阿久悠作品集』収録)
参考文献
- 『かが・のと歌謡曲百選』 - 北國新聞社(1994年)
脚注
- ^ 旅情三部作秘話 #さゆりこぼれ話 #8 石川さゆり オフィシャルウェブサイト・ニュース(2017年7月31日)
- ^ 石川さゆり、紅白で07年から交互に歌う名曲“封印” 被災地に届け!!今年は21年ぶり「能登半島」
関連項目
「能登半島 (石川さゆりの曲)」の例文・使い方・用例・文例
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