聖心女子学院を卒業後
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1931年(昭和6年)に聖心女子学院を卒業後、外資系企業に就職した。しかし当時の日本社会では、女性の活躍はまだ困難であったため、同1931年に渡米し、通訳として父と共に欧米を渡った。 アメリカのロサンゼルスに滞在中の同1931年9月頃、「日本、満州を侵略す」との号外を目にした。その瞬間より父の尾崎行雄は「日本は間違っている」と言い始めた。ワシントンで当時の大統領であるハーバート・フーヴァーに会った日は、しきりに「残念だ」と言っていた。「日本は満州から先へは侵攻しないと言っていた。大統領は日本の不拡大方針を信じていた。日本の信用が崩れてしまった」というのである。雪香は、個人としての自分の信用のみならず、国の信用も重要ということを痛感し、このことはその後の雪香の指針となった。
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