聖寿寺_(盛岡市)とは? わかりやすく解説

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聖寿寺 (盛岡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 23:59 UTC 版)

聖寿寺
所在地 岩手県盛岡市北山2丁目12-15
山号 大光山
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
開山 三光国斎国師
中興 石門
正式名 大光山聖寿禅寺
札所等 盛岡観音三十三箇所第17番札所
盛岡五山
法人番号 1400005000532
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聖寿寺(しょうじゅじ)は、岩手県盛岡市北山二丁目にある臨済宗妙心寺派の寺院。盛岡藩南部家の国元の菩提寺である。瑞鳩峰山報恩寺、大宝山東禅寺、宝珠盛岡山永福寺、雍護山教浄寺[1]とともに盛岡五山(盛岡五個寺とも)の一つである。また現在の盛岡観音三十三箇所第17番札所でもある。山号は大光山。本尊釈迦如来。等級は等外。正式名称は聖寿禅寺であるが、通称の聖寿寺で言及されることが多い。

歴史

開山は三光国斎国師。当初は三戸郡小向村(現在の青森県南部町小向)にあり、三光庵という名称であった。以後衰退していたが、三戸城主である南部信直松島瑞巌寺の僧侶である実堂の弟子石門を招いて中興した。

盛岡城およびその城下町が建設されると、上田門前町の高源寺旧地に移転して諸堂や庫裏が建設される。元和4年(1618年)には寺領500石を拝領され、元禄年中に伽藍が再興される。文化6年(1809年)から2年間かけて江戸の感応寺(現在の天王寺 )の五重塔を模倣して五重塔が建設される。なおこの五重塔は、現在は初層部分しか残っていない。

藩主家菩提寺として繁栄したが、明治維新以降は寺領を失い衰退し、後に復興した。

第二次世界大戦後に末寺で盛岡観音三十三箇所第17番札所の明宜庵廃寺となったので、盛岡観音三十三箇所第17番の聖観音を引き継いで盛岡観音三十三箇所第17番札所となる。

境内

先述のとおり、文化年中に建設された五重塔が初層部分のみ残存しており、子安地蔵堂と呼称されている。

脚注

参考文献

  • 堀由蔵「大日本寺院総覧・下巻」(名著刊行会)
  • 「日本歴史地名大系第3巻・岩手県の地名」(平凡社1990年

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