耶律蒲古とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 耶律蒲古の意味・解説 

耶律蒲古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:24 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

耶律蒲古(やりつ ほこ、生年不詳 - 1031年)は、(契丹)の軍人は提隠。

経歴

耶律阿保機の弟の耶律蘇の四世の孫にあたる。統和初年、涿州刺史となり、高麗遠征に参加して功績を挙げた。開泰末年、上京内客省副使となった。

太平2年(1022年)、鴨緑江に築城して、蒲古はそこに駐屯した。太平5年(1025年)、広徳軍節度使に転じた。まもなく東京統軍使となった。太平9年(1029年)、大延琳が乱を起こし、使者を送って保州と連係しようとした。夏行美がその使者を捕らえて蒲古のもとに送ると、蒲古は保州に入城したので、大延琳は意気阻喪した。功績により惕隠に任じられた。

景福元年(1031年)、子の耶律鉄驪に殺害された。

伝記資料

  • 遼史』巻87 列伝第17



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「耶律蒲古」の関連用語

耶律蒲古のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



耶律蒲古のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの耶律蒲古 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS