羽柴氏以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:55 UTC 版)
その後の勝龍寺城は羽柴方にあまり重要視されず、石材が淀古城の修築に使用されるなどして一旦荒廃する。 江戸時代に入った寛永10年(1633年)、永井直清が山城長岡藩へ封ぜられた。永井は荒廃していた勝龍寺城の修築を行うが、江戸幕府より「堀はさわらない、勝龍寺城古城の北へ屋敷を取れ」という命を受けた。この際に不完全ながらも近世城郭としての勝龍寺城が完成した可能性が指摘されている。しかしそれも短期間のもので、慶安2年(1649年)に直清が摂津高槻藩に転封されると同時に完全に廃城となった。
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