美山育成牧場時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:10 UTC 版)
1986年の10月、ハツラツは岐阜県山県郡美山町(現:山県市)にあった美山育成牧場に移り、3か月間馴致を施された。当時の美山育成牧場では、従業員の吉田謙治が1人で30頭あまりの馬の管理をしていたため全ての馬に手が行き届く状況ではなかったが、ハツラツは放牧地で1頭だけで離れて過ごすことが多かったため吉田の目を引き、調教を施されることが多かった。 当時のハツラツの印象について吉田は、賢くて大人しく人懐っこい馬だったが、調教時には人間を振り落とそうとして跳ねるなど勝負を挑んでくることもあり、調教というよりも一緒に遊ぶ感覚だったと語っている。また、ハツラツは育成牧場にいた馬のなかでは3、4番手の地位にあり、他の馬とけんかをすることはなかったという。食欲は稲葉牧場にいた頃と変わらず旺盛で、その点に惹かれた馬主が鷲見に購入の申し込みをするほどであった。
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