緒方修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 04:17 UTC 版)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |  日本 | 
| 出身地 | 佐賀県唐津市 | 
| 生年月日 | 1950年6月17日 | 
| 没年月日 | 2021年2月9日 | 
| 身長 体重 | 178 cm 83 kg | 
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 | 
| ポジション | 投手 | 
| プロ入り | 1968年 ドラフト2位 | 
| 初出場 | 1971年 | 
| 最終出場 | 1971年 | 
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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        この表について
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緒方 修(おがた おさむ、1950年6月17日 - 2021年2月9日)は、佐賀県[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
厳木高校では、エースとして1967年秋季九州大会に進むが、1回戦で楠城徹のいた小倉高に敗退。
1968年ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団[1]。九州では屈指の本格派投手として稲尾二世と評判が高く巨人、西鉄、中日なども目をつけていた。 上手投げでスピードはないが、落ちるカーブを主体にスライダーとシュートを内角に散らすピッチングが持味だった。
1971年に一軍に上がり、9月5日には東映を相手に初先発を果たす。9月15日には阪急を相手に先発、石井茂雄と投げ合い6回2/3を1失点と好投、プロ初勝利を記録した。しかし翌年以降は一軍での登板機会がなく、1975年限りで引退[1]。引退後は大阪の日本料理店で板前、コーヒー専門店のチーフとして従事した。
1973年4月25日のウエスタン・リーグ阪神戦で1回裏に球審が負傷退場。公式戦初のケースであったが、規約により両チームから緒方と伊藤幸男が臨時審判員となり試合を進行した。
2021年2月9日、大阪府高石市内において、高石市職員により死亡が確認された。70歳没。所持品等から親族の連絡先が判明しなかったことから、高石市において遺族を調査中である。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1971 | 南海 | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | -- | 1.000 | 103 | 24.1 | 19 | 2 | 12 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 7 | 4 | 1.50 | 1.27 | 
| 通算:1年 | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | -- | 1.000 | 103 | 24.1 | 19 | 2 | 12 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 7 | 4 | 1.50 | 1.27 | |
背番号
- 36 (1969年)
- 32 (1970年 - 1973年)
- 66 (1974年 - 1975年)
関連項目
脚注
外部リンク
- 個人年度別成績 緒方修 - NPB.jp 日本野球機構
- 緒方修のページへのリンク

 
                             
                    




