綏嬪朴氏とは? わかりやすく解説

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綏嬪朴氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/12 02:27 UTC 版)

綏嬪 朴氏
수빈 박씨

称号 顯穆綏妃(諡号)
出生 1770年陰暦5月8日
李氏朝鮮 漢城府
死去 1822年陰暦12月26日
李氏朝鮮 漢城府昌徳宮徽慶堂
埋葬 京畿道坡州市徽慶園
配偶者 正祖
子女 純祖
淑善翁主
家名 潘南朴氏
父親 朴準源
母親 原州元氏
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綏嬪 朴氏
各種表記
ハングル 수빈 박씨
漢字 綏嬪 朴氏
発音 スビン・パクシ
日本語読み: すいひん・ぼくし
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綏嬪 朴氏(すいひん ぼくし、スビン パクシ、수빈 박씨1770年6月1日 - 1823年2月6日)は、李氏朝鮮第22代国王正祖後宮で、第23代国王純祖の生母。本貫潘南朴氏

生涯

1770年に朴準源と夫人・原州元氏の三女として生まれる。

王妃(孝懿王后)には子がいなかったため、貞純大妃によって、1787年に側室に選ばれた。同年に正祖と嘉礼を挙げ、側室に昇格。同時に嘉順宮の宮号が与えられた。

1790年に息子の純祖を出産、1793年には淑善翁主を出産する。1800年に息子が世子に封じられるが、同年に夫が崩御してしまう。

夫の死から数日後、息子が王に即位。息子が幼いため、義曽祖母にあたる大王大妃垂簾聴政を実施。1822年、数え年の54歳で昌徳宮徽慶堂にて死去。

死後、高宗より正祖が「宣皇帝」の廟号を追尊されたことに判い、顯穆綏妃の称号を追贈された。

人物

義理の祖母にあたる貞純王后、姑の恵慶宮洪氏と正祖の正室である孝懿王后に礼を尽くして、質素に暮らした。温厚で控えめな性格であった。

家族関係

  • 父: 朴準源朝鮮語版(1739年-1807年)
  • 生母: 原州元氏(1740年-1783年)
    • 兄: 朴宗輔(1760年-1807年)
    • 兄: 朴宗慶朝鮮語版(1765年-1817年)
    • 姉: 朴氏夫人 - 申光晦正室
    • 姉: 朴氏夫人 - 李堯憲正室
  • 継母: 不詳
  • 夫: 正祖
    • 純祖(1790年 - 1834年)- 第23代国王。孝懿王后の養子。
    • 淑善翁主朝鮮語版(1793年 - 1836年)- 洪顕周正室。女流茶人。

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