紛争解決の道程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 00:00 UTC 版)
2003年9月30日、ウクライナ外務省はロシア外務省に対し抗議文書を送致した。 10月6日には、コスチャントィン・フルィシュチェンコウクライナ外相は、モスクワへ出向き紛争に関する交渉に入った。紛争解決における主要部分のため、ラテンアメリカ歴訪中であったレオニード・クチマウクライナ大統領が緊急帰国し、トゥーズラ島を視察した。 10月22日、ウクライナ最高議会は、ウクライナ・ロシア関係について審議を行った。 10月23日、堤防の建設が停止された。ウクライナの国境警備隊の哨所とロシアの建設班との間はわずか100 mしか残されていなかった。 11月には、ロシア、ウクライナ両国の首相が堤防の建設の凍結を合意した。 12月3日には、トゥーズラ島で新しい国境監視の哨所の建設が開始された。 2005年7月、ロシアはトゥーズラ島とその海域がウクライナに属することを承認した。
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