粟屋隆信の墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 20:21 UTC 版)
岩屋寺から少し南に向かった、岩屋寺山公園の一角の展望台付近に「粟屋隆信公の墓」が祀られている。墓は下記の碑の傍に存在するが、五輪塔や宝篋印塔形式の墓石としての原形は保ってはいない。 粟屋隆信公之墓比叡尾山城主十五世三吉廣高は、叔父である粟屋村勝山城主、三吉隆信(粟屋隆述)を天正年中、比叡尾城にて誘殺す。隆信、死に臨みて吾が魂魄ながくこの土に留まりて汝を滅ぼさんとの一念の為に、天正19年(1591)三吉氏、比叡尾城を廃して比熊山城に移りし後、僅か10年にして亡ぶという。 南無観世音菩薩
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