粕谷新五郎
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粕谷 新五郎(かすや しんごろう、文政3年8月16日(1820年9月22日) - 元治元年6月6日(1864年7月9日))は、壬生浪士組同士。
生涯
文政3年(1820年)、水戸藩下の常陸(現在の常陸大宮市野口平)に粕谷忠兵衛の子として生まれる。安政5年(1858年)、孝明天皇から密かに下賜された戊午の密勅の返還に反対し、家督を長男の親之助に譲り、脱藩した。
万延元年(1860年)、粕谷を含む37名(このとき一緒にいた人物に香川敬三が含まれる)は、薩摩藩に尊王攘夷の実行を訴えたことを問われ、水戸藩江戸屋敷に幽閉処分に処された。
文久2年(1862年)に放免され、翌文久3年(1863年)、浪士組に参加する。同年3月、浪士組の江戸東帰が決まると、近藤勇、芹沢鴨らとともに京に残留したが、その後脱退し、郷里に戻った。
元治元年(1864年)、天狗党の乱に参加。上州での献金活動に奔走するが、栃木宿で幕府軍の追討を受け、下野国持宝寺で自刃して果てた。享年45(満43歳没)。墓碑は生家に建てられている。
粕谷新五郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:17 UTC 版)
「アサギロ 〜浅葱狼〜」の記事における「粕谷新五郎」の解説
水戸浪人。同郷の芹沢の振る舞いを度々制している。水戸随一の剣の腕前と称される。
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