籠城の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:48 UTC 版)
清朝の宣戦布告は、清朝内に在住する外国人及び中国人クリスチャンの孤立を意味するも同然であった。特に北京にいた外国公使たちと中国人クリスチャンにとっては切迫した事態を招来した。当時紫禁城東南にある東交民巷というエリアに設けられていた公使館区域には、およそ外国人925名、中国人クリスチャンが3,000名ほどの老若男女が逃げ込んでいた。しかし各国公使館の護衛兵と義勇兵は合わせても481名に過ぎなかったという。 6月19日に24時間以内の国外退去命令が伝えられ、翌日から早速攻撃が開始された。以後八カ国連合軍が北京を占領する8月14日までのおよそ2か月弱、籠城を余儀なくされるのである。ちなみに籠城した人の中には、中国研究者として名高いペリオや海関の総税務司(Inspector-General)として長年清国に滞在していたロバート・ハート、『タイムズ』通信員のG.E.モリソン、服部宇之吉、狩野直喜、古城貞吉といった有名人も含まれていた。
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