第28SS義勇擲弾兵師団「ヴァロニェン」時代
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「アンリ・ティッセン」の記事における「第28SS義勇擲弾兵師団「ヴァロニェン」時代」の解説
旅団再編成期のティッセンSS中尉に関する情報は不明であるが、1944年10月に旅団が師団へと昇格すると、ティッセンは第28SS義勇擲弾兵師団「ヴァロニエン」対戦車大隊第2(対空砲)中隊長に就任した。 1945年2月6日、「ヴァロニェン」師団とともにポメラニア戦線へ向かったティッセンSS中尉はここでも様々な活躍を見せた。3月4日にはヴィティホウ(Wittichow)北の沼地で戦線突破をはかったソビエト赤軍部隊を少数の志願兵を率いて食い止め、3月6日にリューボウ(Lübow)で第69SS擲弾兵連隊第Ⅱ大隊が全滅した時は、ティッセン率いるグループとレオン・ジリス(Léon Gillis)SS中尉率いるグループだけが生き残った。 1945年3月12日、戦闘継続を希望し、「デリクス」戦闘団の第4中隊長に就任。3月17日から19日にかけてアルトダム(Altdamm)橋頭堡において防衛戦闘を繰り広げる。 1945年4月20日、この日ティッセンはSS大尉に昇進したが、同日の夕刻に行われたシラースドルフ(Schillersdorf)反撃作戦において敵狙撃兵によって射殺された。24歳であった。
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