第1戦車団 (陸上自衛隊)とは? わかりやすく解説

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第1戦車団 (陸上自衛隊)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/16 05:09 UTC 版)

第1戦車団
創設 1956年(昭和31年)1月25日(第1戦車群)
廃止 1981年(昭和56年)3月25日
所属政体 日本
所属組織 陸上自衛隊
部隊編制単位
兵科 機甲科
兵種/任務 戦車
人員 1880名(定員)
所在地 北海道 恵庭市
編成地 北恵庭
最終上級単位 北部方面隊
担当地域 北海道
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第1戦車団長旗
第1戦車団の記念碑

第1戦車団(だいいちせんしゃだん、JGSDF 1st Tank Brigade)は、北海道恵庭市北恵庭駐屯地に駐屯していた北部方面隊隷下の機甲科部隊。第7師団の機甲師団化に伴う部隊改編により、1981年(昭和56年)3月25日に廃止された。

概要

自衛隊唯一の戦車団であり、戦車の集中配備を行っていた部隊として、廃止時は3個戦車群を有していた。前身は1956年新編の第1特車群であり、第1戦車群を経て、1974年に第1戦車団に改編された。1974年時における北部方面隊の戦車部隊は、第1戦車群(当時は3個戦車大隊基幹)の他、各師団に4個戦車中隊を保有する戦車大隊のみであった。冷戦時の状況の中、対ソ連への戦車部隊の管理一元化と、大規模な戦車戦へ備える観点から従来の戦車群を改編し増強、当時第2師団隷下の普通科部隊を装甲車で輸送する任務を付与されていた第102装甲輸送隊を組み込み、団として新編した。第102装甲輸送隊は、普通科部隊の輸送を目的としている。

しかしながら、団独自に戦車部隊を運用し大規模な戦車戦闘が行える利点の反面、戦車戦支援を行うのに重要な普通科部隊が方面直轄に存在しなかった点[1]、近隣の第7師団から第23普通科連隊などの機械化連隊の支援を受けて戦車団検閲などの訓練を行ってきた運用環境、整備や管理等を行う観点から戦車団のあり方に対して陸幕内部で意見が交わされた結果、第1戦車団を廃止し、その装備等をもって機械化師団であった第7師団を機甲師団として改編することとした。そのため第1戦車団は、7年でその幕を下ろすことになる。

廃止後は第1戦車群のみが北部方面総監直轄の戦略予備部隊として残留、第2戦車群第3戦車群は第7師団隷下の第72戦車連隊第73戦車連隊へと改編。第102装甲輸送隊第3普通科連隊の装甲車化改編のため廃止となる。

戦車団旗は帽章に桜星一つの将補が団長の部隊であり、北恵庭駐屯地司令を兼ねていた。部隊マークは、制定されていなかった。砲塔側面には、日の丸のみで、車体ナンバーの色で各群の色が定められていた(1戦群:赤、2戦群:青、3戦群:黄)。

沿革

第1特車群

  • 1956年(昭和31年)
    • 1月25日:第1特車群本部及び本部中隊が北恵庭駐屯地において編成完結。第101特車大隊、第103特車大隊、第104特車大隊を隷下に編合。
    • 10月8日:第7混成団長統裁の陸上自衛隊初の対空挺演習に参加(島松演習場:10月10日まで)。

第1戦車群

  • 1962年(昭和37年)1月18日:第1戦車群に称号変更。

第1戦車団

  • 1974年(昭和49年)8月1日:第1戦車群を第1戦車団に改編。
  1. 第1戦車群隷下の戦車大隊を群本部、本部管理中隊、5個戦車中隊からなる戦車群(第101戦車大隊を第1戦車群、第103戦車大隊を第2戦車群、第104戦車大隊を第3戦車群)に改編。
  2. 第102装甲輸送隊上富良野駐屯地)を編合。
  3. 61式戦車を装備開始。
  1. 第1戦車団(北恵庭駐屯地)が廃止[2]。最後の団長は井上年弘陸将補。
  2. 第1戦車群は北部方面隊直轄部隊。
  3. 第2戦車群が第72戦車連隊に改編され、第7師団に隷属。
  4. 第3戦車群が第73戦車連隊に改編され、第7師団に隷属。
  5. 第102装甲輸送隊上富良野駐屯地)を廃止[2]

廃止時の部隊編成

歴代団(群)長

歴代の第1戦車群長
(1等陸佐・北恵庭駐屯地司令兼補)
氏名 在職期間 前職 後職
01 塩田鹿三 1956年01月25日 - 1959年03月16日 北部方面総監部特車課長 陸上自衛隊富士学校機甲科部長
02 越智七五三次 1959年03月17日 - 1961年07月31日 陸上幕僚監部第5部機甲科班長 陸上自衛隊富士学校機甲科教育部長
03 辛島泰善 1961年08月01日 - 1963年07月31日 陸上自衛隊幹部学校研究員 陸上幕僚監部第5部機甲科班長
04 奥村勝 1963年08月01日 - 1965年07月15日 陸上幕僚監部第5部機甲科班長 陸上自衛隊富士学校機甲科教育部長
05 春山清海 1965年07月16日 - 1968年03月15日 陸上自衛隊幹部学校研究員 陸上自衛隊幹部学校勤務
06 田中賢一 1968年03月16日 - 1970年07月15日 第1空挺団副団長 第7師団副師団長
東千歳駐とん地司令
07 飯田芳次 1970年07月16日 - 1972年07月16日 陸上幕僚監部第5部機甲科班長 装備開発実験隊
石毛俊男 1972年07月17日 - 1974年07月31日
※1974年07月01日 陸将補昇任
陸上幕僚監部第5部機甲科班長 第1戦車団長
兼 北恵庭駐とん地司令
歴代の第1戦車団長
(陸将補・北恵庭駐屯地司令兼補)
氏名 在職期間 前職 後職
01 石毛俊男 1974年08月01日 - 1975年03月16日 第1戦車群
兼 北恵庭駐とん地司令
陸上幕僚監部
02 冨沢松司 1975年03月17日 - 1977年03月15日 東北方面総監部幕僚副長 東部方面総監部幕僚長
市ヶ谷駐とん地司令
03 村松榮一 1977年03月16日 - 1978年06月30日 陸上幕僚監部第3部副部長 陸上幕僚監部防衛部長
04 中村守雄 1978年07月01日 - 1980年06月30日 中部方面総監部幕僚副長 陸上幕僚監部教育訓練部長
陸将昇任)
井上年弘 1980年07月01日 - 1981年03月24日
※1981年01月01日 陸将補昇任
第4師団司令部幕僚長
1等陸佐
第7師団司令部付
→1981年3月30日
第7師団副師団長
兼 東千歳駐とん地司令

脚注

  1. ^ 当時は唯一の機械化部隊であった7師団隷下の普通科連隊や当時4個普通科連隊を保有し戦略的にも最前列で戦闘を行う3連隊や9連隊などを配属させる構想もあった
  2. ^ a b c 陸上自衛隊北部方面総監部/監修『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』山藤印刷株式会社、2003年。 

出典

  • PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状 アルゴノート社 2016
  • 陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版 2017

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