竹野吉郎とは? わかりやすく解説

竹野吉郎

(竹野充曠 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 05:53 UTC 版)

竹野 吉郎
基本情報
国籍 日本
出身地 島根県
生年月日 (1943-06-18) 1943年6月18日(81歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手内野手
プロ入り 1965年 ドラフト7位
初出場 1966年
最終出場 1971年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

竹野 吉郎(たけの よしろう、1943年6月18日 - )は、島根県[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手内野手1967年から1971年までの登録名は竹野 充曠[1]

来歴・人物

島根県立浜田高等学校では1961年夏の甲子園島根県予選準決勝に進出するが、大社高の若月宏之投手(立大全大丸)に抑えられ敗退。高校同期に新宅洋志捕手がいた。新宅とともに駒澤大学へ進学。東都大学リーグでは1962年から春季リーグ3回連続優勝。1964年には盛田昌彦投手(北海道拓殖銀行)を擁し、全日本大学野球選手権大会決勝で早大を降し優勝した。同年10月には、東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に左翼手として出場している。ベストナイン2回(外野手、1964年秋季、1965年春季)受賞。

1965年ドラフト会議広島カープから7位指名を受け入団[1]。1年目の1966年から、主に終盤の守備固めではあるが94試合に出場。同年は中堅手として初先発出場を果たし、9月には一番打者としても起用される。1967年のジュニアオールスターに出場。同年も57試合に出場するが、その後は出番が減少。しかし1970年には二塁手三塁手も兼ねて72試合に起用され、うち17試合に先発出場。翌1971年には出場機会が減り、同年限りで現役引退[1]。引退後は、登別市役所に勤務。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1966 広島 94 66 62 9 13 2 0 0 15 1 1 0 2 0 2 0 0 8 0 .210 .234 .242 .476
1967 57 37 33 4 8 2 0 0 10 1 0 1 1 0 3 0 0 3 1 .242 .306 .303 .609
1968 7 3 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1969 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1970 72 71 64 13 15 1 1 0 18 2 3 3 1 1 5 0 0 9 1 .234 .286 .281 .567
1971 17 39 36 2 10 0 0 0 10 0 1 1 0 0 3 0 0 3 0 .278 .333 .278 .611
通算:6年 251 216 198 29 46 5 1 0 53 4 5 5 4 1 13 0 0 24 2 .232 .278 .268 .546

背番号

  • 35 (1966年 - 1971年)

登録名

  • 竹野 吉郎 (たけの よしろう、1966年)
  • 竹野 充昿 (たけの みつひろ、1967年 - 1971年)

脚注

  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、332ページ

関連項目

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