空爆死没者慰霊塔の建立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 02:03 UTC 版)
1956年、全国戦災都市連盟により「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」が建立された。高さ26mで、白亜で独特の外見を持つ。 慰霊塔の建立を誘致したのが、戦後復興期に姫路市長に就任し、大手前通りなどの積極的都市整備を行った石見元秀(在任1947年 - 1967年)である。 この誘致に応じ全国戦災都市連盟(当時、石見元秀市長が全国戦災都市連盟の会長を兼務していた)が建立したもので、慰霊塔の手前両側に太平洋戦争で空襲を受けた1都99市13町の碑が並ぶ。
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