空島政策の終了と日本人の帰国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:00 UTC 版)
「鬱陵島」の記事における「空島政策の終了と日本人の帰国」の解説
1879年頃、京都の寺院建築のために、東京の大倉組(大倉喜八郎)が槻(ケヤキ)を伐採。 1881年、鬱陵島捜討により、日本人7名による伐木が確認される。同年、朝鮮政府は日本政府に対し「鬱陵島渡海禁止」を要求。 1882年6月、国王高宗は鬱陵島検察使・李奎遠にこの島の調査を指示し空島政策を廃止した。 1883年、日本政府はこの要求を受け入れて日本人に強制帰国を命じた。。同年10月14日、越後丸にて日本人255人(復命書の県別人数に一致せず)が帰国。このとき、在住朝鮮人は60名で帰国を惜しみ見送る者もいた。
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