矢不来の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:06 UTC 版)
新政府軍は木古内で木古内口と松前口の軍が合流。その後、補給を整えた新政府軍は、4月29日、陸軍参謀・太田黒惟信が1,600名を率いて本道、海岸、山上の三方から矢不来を攻撃した。旧幕府軍は、甲鉄・春日等による艦砲射撃で衝鋒隊の大隊長・天野新太郎や永井蠖伸斎など多数の死傷者を出し、総崩れとなった。大鳥圭介は富川(現・北斗市)で部隊の立て直しを図ったが果たせず、有川(現・北斗市)まで撤退。有川では榎本武揚自ら指揮を執るが、旧幕府軍は完全に崩壊、箱館方面へ敗走を始める。旧幕府軍はこの戦闘で160名の戦死者を出している。
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