矢上の大樟とは? わかりやすく解説

春日神社 (藍住町)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/25 14:35 UTC 版)

春日神社
所在地 徳島県板野郡藍住町矢上春日67
位置 北緯34度8分16.14秒 東経134度29分22.16秒 / 北緯34.1378167度 東経134.4894889度 / 34.1378167; 134.4894889 (春日神社 (藍住町))座標: 北緯34度8分16.14秒 東経134度29分22.16秒 / 北緯34.1378167度 東経134.4894889度 / 34.1378167; 134.4894889 (春日神社 (藍住町))
主祭神 タケミカヅチ
創建 6世紀
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春日神社(かすがじんじゃ)は、徳島県藍住町に鎮座する神社

歴史

6世紀に皇室領の屯倉(みやけ)がこの地に置かれ、奈良の春日大社を分祀したので、春日部の屯倉と呼ばれるようになったとされる。その際、一頭の鹿が奈良と当地を往来したという伝説にちなみ、境内には「鹿の墓」がある[1]

矢上の大樟

境内には1956年昭和31年)に徳島県の天然記念物に指定されている樹齢2000年ともいわれる樟の木があり、1811年文化8年)に描かれた阿波名所図絵会にも紹介されている[2]

祭神

交通

脚注

  1. ^ 春日神社”. 藍住町. 2021年3月29日閲覧。
  2. ^ 「徳島県の歴史散歩」(2009年、山川出版社)[要ページ番号]

外部リンク


矢上の大樟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 07:17 UTC 版)

春日神社 (藍住町)」の記事における「矢上の大樟」の解説

境内には1956年昭和31年)に徳島県天然記念物指定されている樹齢2000年ともいわれるの木があり、1811年文化8年)に描かれ阿波名所図絵会にも紹介されている。

※この「矢上の大樟」の解説は、「春日神社 (藍住町)」の解説の一部です。
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