瞎堂慧遠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 04:11 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動瞎堂慧遠(かつどう えおん、崇寧2年(1103年) - 淳熙3年1月15日(1176年2月26日))は、中国南宋の臨済宗の僧。号は仏海禅師。俗姓は彭。眉州眉山県金流(現在の四川省楽山市夾江県)の出身。
略歴
13歳のとき出家し、はじめ成都の大慈寺で学んだ。のち、成都の昭覚寺の圜悟克勤のもとで頓悟した。圜悟克勤の没後、江南に移った。
孝宗の勅命により、乾道6年(1170年)から臨安の霊隠寺の住職となり、乾道9年(1173年)には孝宗から仏海禅師の号を贈られた。
日本における禅の草分けである覚阿は、瞎堂慧遠に学んだ。また、後に民間伝承の主人公となった済公も瞎堂慧遠の弟子であった。
著作
- 『瞎堂慧遠禅師広録』。
参考文献
- 『嘉泰普灯録』巻十五、1204年。
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