相生垣瓜人とは? わかりやすく解説

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相生垣瓜人

相生垣瓜人の俳句

ふらふらと死にゐし風が起き上る
わが宿のいささ群竹酔ふ日かも
クリスマス佛は薄目し給へり
一団の年賀状にぞ襲はれし
亡き母に米寿の春を贈られし
何物が蛾を装ひて入り来るや
初鴉わが散策を待ちゐたり
力行の範たる蟻をつぶしけり
地虫出づふさぎの虫に遅れつつ
大寒に試みられてゐるとする
家にゐても見ゆる冬田を見に出づる
寒燈にも蟲の如きが来りけり
微塵等も年を迎へて喜遊せり
心まで着ぶくれをるが厭はるる
恐るべき八十粒や年の豆
春めくを冬田のためにおしむなり
春来る童子の群れて来る如く
梅雨明けぬ猫がまづ木に駈け上がる
秋風を聞けり古曲に似たりけり
老人の打つに忍びぬ老鬼かな
荒海の秋刀魚を焼けば火も荒らぶ
蜈蚣死す数多の足も次いで死す
行く年の後ろに就いて行きにけり
隙間風その数条を熟知せり
青梅を落としし後も屋根に居る
 

相生垣瓜人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/27 09:15 UTC 版)

相生垣 瓜人(あいおいがき かじん、1898年明治31年)8月14日- 1985年昭和60年)2月7日)は、俳人[1]。本名・貫二[2]

生涯

兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)に生まれる。1920年、東京美術学校製版科を卒業。同年に浜松工業学校(現在の静岡県立浜松工業高等学校)に図案科教員として赴任。1928年より「ホトトギス」に、1930年より水原秋桜子の「馬酔木」、阿波野青畝の「かつらぎ」に投句[2]。1933年、秋桜子の「ホトトギス」離反に従い「馬酔木」に所属、同年「馬酔木」同人。1937年「馬酔木」の「新葉抄」選者を任される。

戦中、6年ほど句作を中断したのち、1947年「あやめ」に参加。1948年復刊した「馬酔木」への投句を再開。1949年、浜松放送局聴取者文芸俳句選者。1950年「あやめ」が「海坂」(うなさか)に改題、同誌で百合山羽公と共選。1976年、句集『明治草』他で第10回蛇笏賞を受賞。句集には他に『微茫集』がある。代表句に「家に居ても見ゆる冬田を見に出づる」「クリスマス佛は薄目し給へり」など。戦後から飄逸味のある独特の句風を発展させ、その句境は「瓜人仙境」と呼ばれた。1985年、風邪から心筋梗塞を併発し、意識を失ったまま永眠。享年86。

句集

  • 微茫集(1955年7月、近藤書店
  • 明治草(1975年12月、海坂発行所)
  • 相生垣瓜人全句集(2006年、角川書店

参考文献

関連文献

脚注

  1. ^ 兵庫ゆかりの作家 相生垣 瓜人” (日本語). ネットミュージアム兵庫文学館. 兵庫県立美術館. 2025年5月27日閲覧。
  2. ^ a b 谷島屋ブックカバーデザイン 知ってます?蛇笏賞受賞の相生垣瓜人” (日本語). 中日新聞 (2021年4月19日). 2025年5月27日閲覧。

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