白髪岩の原三角測点とは? わかりやすく解説

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白髪岩の原三角測点

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 11:38 UTC 版)

白髪岩の原三角測点(しらがいわのげんさんかくそくてん)は、過去に使用されていた三角測量の基準点である。

概要

群馬県藤岡市下仁田町の境界付近・御荷鉾山系 白髪岩 しらがいわと呼ばれる山頂(1512メートル)に設置されている。一辺62センチ・高さ18センチの正方形の台座の上に四角錘台の形の本体が乗っており、本体は高さ45センチ[1]、下辺が30センチ、上辺が15センチ。本体の側面には「原三角測點」「内務省地理局」「明治十五年十月」の文字が刻まれている[2]。材質は椚石と同じ特徴を持つデイサイト[3]南牧村から下仁田町を経由して白髪岩まで運んだと推定されている[3]

背景

明治10年代(1877年から1886年)、内務省地理局は関東地方中部地方に計約100基の原三角測点を設置したが、それらの大部分は後に陸軍が一等三角点を設置した際に撤去・処分されている。2025年現在、原三角測点は東京都の最高峰・雲取山新潟県米山でも確認されているが、当初の位置から移動していると推定されている[4]

発見

2001年6月、深谷市の公務員・飯島仁によって白髪岩の上で確認された。陸軍の一等三角点はこれとは別の場所に設置されたが、以前から地図愛好家の間では「内務省の原三角測点がどこかに埋まっているのでは」と注目を集めていた。それを5年以上にわたって探索してきた飯島であるが、白髪岩の上に設置したという当時の記録と同じ場所で発見された[4]

文化的意義

2023年4月の調査によると、原三角測点の標石が国有林と民有地との境界として「現役」で使用されていることが分かった。群馬県立自然史博物館の学芸員・菅原久誠は「近代日本の地図作製の根幹を担った文化的価値がある」と評価する[2]

玉村町の主婦・和田晴美は「先人が苦労して設置した、近代測量の原点。放っておいたら忘れられてしまう」と、保全に向けて活動を始めた。今後は、標石の位置が藤岡市なのか下仁田町なのかを確定し、当該自治体に文化財などとして指定してもらうなどの働きかけをしていくという[2]

2024年2月には南牧村の石材店経営・青木清二が村名産の 椚石 くぬぎいしで原三角測点標石のレプリカを制作、下仁田町に寄贈した。町では下仁田町自然史館にそれを設置し、一般の見学に供した[1]

脚注

出典

  1. ^ a b 石川 2024, p. 27.
  2. ^ a b c 平井 2024, p. 19.
  3. ^ a b 神辺 2024, p. 21.
  4. ^ a b 讀賣新聞 2001, p. 17.

参考文献

座標: 北緯36度9分2.3秒 東経138度49分17.1秒 / 北緯36.150639度 東経138.821417度 / 36.150639; 138.821417




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