発令後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/14 03:58 UTC 版)
幕府はこの時期100万石近くある関東天領の総検地を行なおうとしていたが、前述の土地の所有関係の複雑化によって検地帳への名義人の記載をどうするかという問題が発生していた。しかし、質地取扱の覚によって、土地所有関係を整理した勘定所は、元禄地方直の準備作業ともいえる検地に着手する。 なお、享保7年(1722年)に発布された流地禁止令によって農地の質流れが再び禁止されるが、大規模な一揆が発生するなど様々な混乱を引き起こすに至り、翌年には禁止令は撤回される。
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