田﨑俊作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/22 07:32 UTC 版)
田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2011年4月26日[1][2])は、株式会社TASAKI創業者。日本真珠振興会会長、神戸ファッション協会会長などを務めた。長崎県出身。
人物
長崎県大村市で、男5人、女4人の9人兄弟の二男として生まれる[3]。家業は真珠養殖業。
海軍兵学校(77期)在学中に敗戦。その後、長崎経済専門学校(現:長崎大学経済学部)を卒業し、父・甚作が神戸の真珠を取り扱う会社で番頭をしていたこともあり、神戸へ行く[3]。
1956年に田崎真珠商会(後の株式会社TASAKI)を設立し、1970年代に真珠の量産に成功した。真珠の養殖・加工・販売を自社で行い、国内真珠最大手の会社に育てた。1975年には、重度身体障害者の自立のため、長崎県大村市に社会福祉法人大村パールハイムを設立した[4]。
2011年4月26日、多臓器不全のため神戸市東灘区の病院で死去。82歳没[2]。
学歴
- 長崎県立大村中学校(現長崎県立大村高等学校)卒業。
職歴
- 1950年 - 鄭旺真珠有限公司(神戸市)入社。
- 1956年 - 田崎真珠商会(後の株式会社TASAKI)設立。
- 1985年 - 同社を大阪証券取引所二部に上場。
- 1993年 - 同社を東京証券取引所一部に上場。
著書
- 『ゴーイング・マイ・ウェイ 真珠と共に歩んだ74年』財界研究所, 2003
脚注
- ^ 長崎大学経済学部同窓会支部総会
- ^ a b 神戸新聞|経済|田崎真珠創業者・田崎俊作氏が死去 82歳
- ^ a b 上田勝太「世界クラスのプレミアムジュエラーTASAKI(タサキ/田崎真珠)」『ゴールドプラザのコラム』株式会社Clarisse、2017年12月6日。2025年9月10日閲覧。
- ^ 大村パールハイム ごあいさつ
- 田﨑俊作のページへのリンク