王者不在の最終戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 05:28 UTC 版)
「1977年日本グランプリ (4輪)」の記事における「王者不在の最終戦」の解説
フェラーリのニキ・ラウダは2戦前のアメリカ東GPで自身2度目のドライバーズチャンピオンを決めた後、チームを離脱していた(チームの声明では「胃炎による欠場」)。ラウダの代役として、前戦カナダGPからジル・ヴィルヌーヴが起用された。ヴィルヌーヴはのちにフェラーリのエースドライバーとなるが、この時点ではF1デビュー3戦目の無名の新人であり、日本モータースポーツ史に残る悲劇の当事者となる。また、シーズン途中にターボエンジンを引っさげてデビューしたルノーや、低迷の続くフィッティパルディもエントリーを取り止め来日しなかった。
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