猪去館とは? わかりやすく解説

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猪去館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 06:41 UTC 版)

猪去館
岩手県
別名 猪去御所
城郭構造 城館
天守構造 なし
築城主 猪去斯波氏
主な城主 猪去詮義
遺構 曲輪、堀
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯39度40分40.6秒 東経141度04分16.7秒 / 北緯39.677944度 東経141.071306度 / 39.677944; 141.071306座標: 北緯39度40分40.6秒 東経141度04分16.7秒 / 北緯39.677944度 東経141.071306度 / 39.677944; 141.071306
地図
猪去館
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猪去館(いさりたて)は、岩手県盛岡市にかつて存在した日本の城。別称・猪去御所

概要

猪去斯波氏の居館で、雫石川右岸の沖積地に突き出した台地上部に100メートル×50メートルの規模で立地し[2]、堀跡が残る。

天文14年(1544年)、高水寺城斯波詮高は南部氏から岩手郡太田の滴石城(後の雫石城)を攻略し、南部晴政を三戸に敗走させた。

翌天文15年(1545年)に嫡男の経詮に家督を継がせ、次男・詮貞を滴石から改称した雫石城に、三男・詮義を太田の猪去館に配置して、「三御所」と称して南部氏の反攻に備えた。

脚注

参考文献

関連項目

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