猪去詮義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/23 04:26 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正3年(1506年)? |
死没 | 永禄9年(1566年)? |
別名 | 猪去御所 |
氏族 | 高水寺斯波氏→猪去氏 |
父母 | 斯波詮高 |
兄弟 | 斯波経詮、雫石詮貞、詮義 |
子 | 義方 |
略歴
猪去氏は清和源氏の一流河内源氏の流れを汲む足利氏の一門・高水寺斯波氏の庶流。
父・斯波詮高が南部氏より雫石村を奪取すると、父により次兄・雫石詮貞が雫石城主に、詮義が猪去(現在の盛岡市)に居館を構えた。足利将軍家(御所)と祖を同じくする足利氏の一門であることから、内外より猪去御所と尊称された。
子は義方(猪去久道の父)。
参考文献
- 児玉 幸阿・坪井 清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
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